平成24年度徳島大学卒業式?修了式式辞
平成25年3月22日(金曜日)
会場 アスティとくしま
平成24年度徳島大学卒業式ならびに大学院修了式にあたり、めでたく卒業される徳島大学卒業生1,231名、大学院修了生533名の皆さんに対し心からお祝い申し上げます。
また、多くの御来賓の皆様の御臨席を賜り、卒業式?修了式を挙行し皆さんの門出をお祝いできることは、徳島大学としても大きな喜びとするところです。また、この日を迎えるにあたりこれまでの長い間、卒業生の皆さんを見守り、応援?支援されてこられた御家族および関係者の皆様方にもお慶びとお祝いを申し上げます。
今、日本国内では国家財政の深刻化、経済の低迷、社会保障?年金問題が懸念されており、国外においても日本のアジアおよび世界での存在感の低下?希薄化などが将来への不安をかき立てています。さらに、東日本大震災からの復興の遅れもあり、日本にとっては様々な大きな課題を抱えており、色々な意味で日本の力が試されている状況にあります。
このような危機的状況の中でもグローバル化は加速度的進行が続いています。すなわち社会はますます複雑化、多様性を深め、我々に対処の能力と解決法を求めてきています。
このような複雑?多様化した状況の中、巣立つ皆さんに3つのことをお話しいたします。
まず1番目は、大学と社会の違いを早く認識することです。社会に出ていつまでも「大学モード」のスイッチを入れたままでは、すぐつまずくことになります。実社会では、出題範囲が決まっていないところから問題が出されます。それも1つずつでなく、同時に多くの問題が出されることが多いということです。答えはあるかもしれないし、ないかもしれません。もし答えがあったとしても、1つとは限りません。多くの場合、出した答えには正しいところも間違ったところもあるといったような、非常にあいまいなことが多いという事実を認識する必要があります。しかし、正解でなくても「大学時代」とは違い、単位を失うとか留年するわけではなく、むしろその失敗は許され、次のステップに生かすことができるという点です。
2番目に、その失敗についてお話したいと思います。「失敗」という言葉はネガティブな響きがあり、できれば失敗をしたくないし、耳にもしたくないものです。しかし、スタンフォード大学のティナ?シーリグは「早く何度も失敗せよ」と言っています。すなわち失敗から学ぶことが多く、学ぶものが大きいということです。反対に失敗の経験がない人は、それだけのリスクを避けているか、とっていないという考えが成立します。悪いパターンは、失敗したときの悪い面が多すぎて個人がリスクに対し過敏になり、リスクから遠ざかろうとしたり避けるようになってくることです。失敗を経験し成功も経験する中で、しっかりと深く学べることができるのであって、自分で挑戦しないで、やりもしないで学ぶことは不可能なのです。すなわち失敗の原因を分析し、それに対する対処方法を次へのステップとする思考回路、行動姿勢が人間力を磨くことになるのです。失敗をバカな失敗ではなく賢い失敗に変える能力、態度を身につけることが必要です。
3番目は、皆さんはグローバル化時代に働く人たちです。グローバル化時代のリーダーになることが求められているのではなく、グローバル化時代に働くことのできる、生きることができる人間になることが求められています。すなわち、終身雇用、年功序列という古くからの日本の雇用体制が崩れている状況の中で、地域を理解し、日本を理解し、世界を理解することが重要です。また、自分自身が地域から理解され、日本から理解され、世界から理解されることが必要です。すなわち、異なった意見、異なった文化に対し、お互いの理解が必要不可欠の要素となってきています。是非、異なった環境、文化、慣習、考え方に違和感を覚え、それから逃げるのではなく理解するよう努力してください。自分自身が逃げると相手からの理解が得られなくなるのは自明の理です。
さて昨今、倫理観、道徳観が薄れてきているという意味で「卑怯感覚を失った世界」といえる現代において、NHK大河ドラマ「八重の桜」で有名になった、会津藩の「什の掟」の最後の締めくくりの「ならぬことはならぬものです」という言葉は、是非かみしめてもらいたい言葉です。
最後に、第5代国鉄総裁 石田禮助が言った言葉「粗にして野だが卑ではないつもり」という言葉を贈りたいと思います。いくら色々なことが人間として粗野であっても、卑劣、卑怯なことはしない人間でありたいと思う心を表わしたものです。
是非、きちんとした倫理観、道徳観に裏打ちされた徳島大学卒業生として、地域で、日本で、そして世界で御活躍されることを心より祈念して、平成25年3月22日、徳島大学卒業ならびに徳島大学大学院修了のお祝いの言葉とします。